岐高女「北野校舎」「雲雀ヶ丘校舎」の巻き
岐高女(岐阜高等女学校)は明治36年(1903年)に北野町に正式開校し、以来40年間
「北野町校舎」で県下の才媛教育に当ってきました。校庭には大きな松木が有る事でも有名
でした。
昭和17年には雲雀ヶ丘の地に、創立40周年を記念して「雲雀ケ丘校舎」が完成しました。
瀟洒な校舎や講堂と共に一際立派な記念館が生徒の誇りでした。然し、時既に第二次大戦
下で、授業時間に教練があり、校舎も軍需工場に変貌して行きました。
そして、完成わずか3年後に戦災で被災し、記念館を残して焼失しました。
本校は戦後の学制改革で岐高に統合され、跡地は本荘中学校となっています。
「雲雀ケ丘校舎」完成記念の絵葉書等で、「北野町校舎」を合わせて当時の姿をお伝えします。
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